なんだか、ずっとこの時を待っていたような……そんな高揚感に満たされていく。
「新婦流華、あなたはここにいるヘンリーを、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、夫として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
熱く潤んだ眼差しに見つめられ、私の体は火照り、顔が熱くなった。
こうなったら、付き合うしかない……よね。
私は覚悟を決めた。これはメイドさんのため、と自分に言い聞かせる。
「はい……誓います」
「では、誓いのキスを」メイドが淡々とその言葉を発した。
「え?」
私は驚き、ぽかんとした顔でメイドを見つめる。
するとヘンリーが私の耳元で囁いた。「僕たちが仲良くしているところを見たら、きっとメイドさんは満足して成仏できる」
メイドはすごく期待した眼差しをこちらに向けている。
本当にキスしたら、成仏できるの?
っていうか、本当にキスするの?戸惑いの眼差しでヘンリーを見つめると、彼の顔がゆっくりと近づいてきた。
なんでこうなるの?
ええい、もうやけくそよ!私は観念し、目を閉じた。
唇に柔らかなものが触れる。
さらにヘンリーが私の体を強く抱きしめてきた。そのまましばらく何もできずに私は動きを止めていた。
すると、調子に乗ったヘンリーが角度を変え、何どもキスを繰り返してくる。
息が苦しくなってきて、私の堪忍袋の緒が切れそうになる。「ちょ、いいかげんにっ」
キスから逃れようとする私の頭を掴み固定すると、ヘンリーはまた私にキスしてくる。
「……っ、ちょっ……」
私はヘンリーの腕の中で必死にもがきながら、キスから抜け出そうとする。
しかし、上手くいかない。ヘンリーは歯止めがきかなくなったのか、私に無我夢中でむさぼりついてきた。
しまいには、ヘンリーの舌が私の唇をこじ開けようとしてくるのを感じた。そのとき、コホンっと咳払いが聞こえた。 視線を向けると、龍が恐ろしいほど冷静な顔で、ヘンリーを睨んでいる。「龍……もう昔みたいに、暴れないでね」 私は隣に座る龍に、そっと耳打ちした。 すると、彼は固い笑顔を作りながら私を見る。「当たり前じゃないですか……お嬢は、何を心配しているのですか?」 その言葉に合わせて、こめかみには青筋が浮いている。 その笑顔、ひきつってるし。 いや、怒ってるじゃん! ヘンリーは今の状況を理解しているのかいないのか、私に向かって無邪気に詰め寄ってきた。「僕、流華にもう一度会えて、すごく嬉しい。 もう二度と会えないのかと思ってたから……」 至近距離まで迫ってくるヘンリー。 そのまま、私の手をぎゅっと握りしめてきた。 突然の行動に、鼓動が跳ね上がる。「ヘンリー……」「僕、流華のこと、まだ――」 と言いかけた瞬間だった。 ドガァッ! すさまじい轟音とともに、龍の鉄拳がヘンリーに命中した。 ヘンリーは勢いよく吹っ飛び、上半身を壁にめり込ませた。「ヘンリー!」 私は慌てて、壁に刺さったヘンリーの元へ駆け寄る。 ピクピクと動いている彼の足をつかみ、勢いよく引っ張る。 何とか救出に成功し、振り返って龍に怒鳴った。「龍っ!」 しかし龍は、しれっと知らぬ顔でそっぽを向いている。 ……前にもあったな、こんなこと。デジャヴ。 ほんと、こういうところは子どもなんだから。 でも、なんだかその懐かしさに、少し笑ってしまう。 昔を思い出しながら微笑んでいると、今度はヘンリーが嬉しそうに覗き込んできた。「あ、流華、笑った。 やっぱり流華の笑顔はいいね。……可愛い」「なっ――!」 久しぶりに聞くヘンリーの甘い言葉に、思わず顔が熱くなる。
目の前には、中村透真の姿をしたヘンリーが、にこにこと微笑みながら私たちを見つめている。 居間には、私と龍、祖父、そしてヘンリー(中村透真)が揃い、膝を突き合わせていた。 こちらサイドの三人は、お互い神妙な顔で視線を交わす。 それぞれ考えていることは、たぶん同じだ。 「じゃあ、僕がなんで中村透真の中にいるのか、経緯を話すね」 ヘンリーは私たちを順番に見つめ、めずらしく真剣な表情で語りはじめた。 元の世界に帰ったあとも、ヘンリーは毎日、私のことを想って暮らしていたという。 それはもう、深く強く……だそうだ。 そして一年くらい経ったある日。 私のことを想いながら眠りについたヘンリーは、夢の中で中村透真と向き合っていた。 妙にリアルなその光景に、現実なのか夢なのか、最初は区別がつかなかったらしい。 彼は、じっとヘンリーを見つめ続けていた。 最初は戸惑ったヘンリーも、勇気を出して話しかけてみた。 すると、ちゃんと返事が返ってきたらしい。 二人は会話を交わし、ヘンリーはそのうち、私のことを熱く語りはじめた。 募る想いを、切々と。 中村透真は、それを嬉しそうに聞いてくれていた。 たくさん語り合ったあと、彼は黙り込んで、何かをじっと考える素振りを見せた。 そして、静かに言った。「ヘンリーに、僕の体を貸すよ」 中村透真は、ヘンリーが自分の体を通して、私に会いに行けるようにしてくれた……そうだ。 本当にそんなことができるのか? その時はよくわからなかった。 でも、ヘンリーは彼の想いを素直に受け取り、喜んでそれを受け入れた。 気がつけば、彼の中にヘンリーの意識が入り込み―― そして今、中村透真の体を使って、ここにいる……らしい。 じゃあ、中村透真の意識は? 今は眠っているということだろうか。 でも、次はいつ入
そして、放課後。 私は中村透真――いや、ヘンリーを引き連れ、龍が待つ場所へと急ぎ足で向かっていた。 あの衝撃の発言を受け、私は見事にパニック状態に陥った。 ヘンリーが中村透真? 中村透真がヘンリー? あーっ、わけわからん! そんな私の混乱ぶりを見かねたヘンリーが、ニコニコと微笑みながら言った。「話、長くなりそうだからさ。放課後、流華の家で説明するよ。ここじゃなんだし」 その顔はまさに、ヘンリーそのもの……って、そりゃそうなんだけど! もう、ややこしいっ! でもまあ、一度冷静になるためにも、彼の提案を受け入れることにした。 休み時間になると、クラスメートたちがヘンリーを取り囲み、尋問大会が始まった。 「ヘンリーじゃないの?」 「なんで顔そっくりなの?」 「如月さんとどういう関係?」 執拗な質問が次から次へと飛び交う。 しかしヘンリーは、終始ニコニコと笑顔のまま、巧妙にスルーしていく。 結局、まともに答えられてはいないのに、彼のあの天然人たらしぶりに、みんな何となく納得させられてしまっている。 ……やっぱり、ヘンリーだ。 そんな様子を黙って観察していると、貴子がずいっと私の隣にやってきた。 案の定、中村透真のことについて詳しく聞きたがる。 うん、まあ……そうなるよね。 私は半ば呆れつつ、「明日、説明するから」の一点張りでなんとかごまかした。 私自身、まだ状況がよくわかってないんだし。 まずは自分が理解しないと。 貴子は納得していないようだったが、最後には渋々引き下がってくれた。「明日、ちゃんと話してもらうからね!」と、キツめに念押しされちゃったけど。 放課後、校門を出ると、私はいつもより速いペースで歩き出した。 その隣には、ヘンリーがぴったりとついてきている。
ヘンリーと同じクラスだった生徒も、何人かこのクラスにいる。 そのせいで、ざわつきはさらに大きくなっていた。 生徒たちの視線が、私と彼に交互に注がれている。 驚きと戸惑いの入り混じった目が、教室中にあふれているのがわかった。 だって、ヘンリーがこの学校にいたとき、私にゾッコンラブだった姿は、みんなの記憶にしっかりと焼き付いているはずだから。 「え? どういうこと?」 「なんで?」 ――そんな声が、今にも聞こえてきそうだ。「えー、みんな驚いてるだろうけど。彼はヘンリー君じゃありません。 中村透真君です。 本人の希望により、今日からこちらの学校に転入してきました。 みんな仲良くしてあげてね」 担任の先生がそう言って、中村透真に目配せを送る。 彼は一歩前に出て、礼儀正しくお辞儀をした。「中村透真と申します。どうぞ、よろしく」 その笑顔は、私が知っている中村透真のものじゃなかった。 まるで、ヘンリーを彷彿とさせる……そんな微笑みだった。 え……まさか、ね。 そんな摩訶不思議なこと、もう起こらない。 起こるわけ、ない。 いやな予感が頭をかすめ、私は慌てて頭を左右に振った。 ホームルームが終わると、私は迷うことなく中村透真のもとへ駆け寄った。 そのまま、彼の腕をぐいっと引っ張って教室を飛び出す。 誰もいない廊下に彼を連れ込み、あたりを素早く確認する。 誰もいないことを確かめてから、私は呼吸を整え、彼の顔をじっと見つめた。 もう一度、ゆっくりと確認する。 何度見ても、やっぱり中村透真にしか見えない。「中村……透真君、だよね? なんで、うちに転校してきたの?」 恐る恐る尋ねると、彼はニコッと笑った。 そして、元気いっぱいの声でこう言った。「流華、僕だよ。ヘンリーだよ!」 その瞬間――
ホームルームを知らせるベルが、教室に鳴り響いた。 おしゃべりしていた生徒たちが、一斉に自分の席へと戻っていく。 その様子を、既に着席していた私は、どこか余裕のある表情で眺めていた。 さっきまでマシンガントークを披露していた貴子も、話すのをやめ、私にひらひらと手を振りながら席に戻っていく。 そのとき、不意に教室前方のドアが開いた。 担任の先生が入ってくる。 ……そのすぐ後ろから、一人の生徒が続いた。 その瞬間、思わず目を大きく見開いた。 心臓が口から飛び出しそうになる。 慌てて立ち上がった拍子に、ガタン! と椅子が派手に鳴り響いた。 教室内もザワザワと騒がしくなる。 誰かがその生徒を凝視し、何かを口走ったかと思えば、指を指す者まで現れる。 それも当然だ。 だって、そこに立っていたのは―― “中村透真”だったから。 中村透真。 彼は私の恩人であり、以前、私のもとにタイムスリップしてきたヘンリーの生まれ変わりでもある。 ……話は、一年ほど前に遡る。 私はある日突然、暴漢に襲われた。 如月組を敵視している連中が仕組んだことで、私を人質にしようと考えたのだろう。 いきなり、強靭な男が襲いかかってきた。 あのとき運悪く、いや、あえてその時を狙ってきたのかもしれない。 いつもそばにいてくれる龍は、大事な会議に出ていて、近くにいなかった。 ふいを突かれた私は、男に拉致されそうになる。 そのとき、現れたのが中村透真だった。 彼は私を助けてくれた。 だが、その代償にひどい怪我を負い、植物状態になってしまった。 その後、ヘンリーが私のもとへタイムスリップしてきた。 そして私とヘンリーは、急速に惹かれ合っていくことになる。 最初は戸惑った。 どうしてヘンリーにこんなに惹かれるのか、不思議でならなかった。 けれど後に、それが
教室に辿り着いた私は、自分の席に着く。 ふと窓の外を見ると、大きな木が目に入った。 この前の席替えで、窓際の席をゲットしたのはラッキーだった。 だって、ここからは校庭にそびえる大きな桜の木がよく見えるから。 かなりの年月を生きてきたと思われるその大木は、毎年、満開の桜を咲かせる。 この高校の名物と言ってもいい。 今は紅葉の時期。 真っ赤というよりは、落ち着いた深い赤に染まる花びらたち。 私はこの色合いがけっこう好きだった。 きっと、春にはまた見事な桜を咲かせ、みんなの心を癒してくれるだろう。 その頃には、龍との関係も、もう少し進んでいるだろうか……。 別に今の関係に不満があるわけじゃない。 でも、キスより先の展開の兆しがちっとも見えない。 私だって乙女だ。 好きな人とのいろいろを妄想してしまうことくらいある。 だけど、龍は超がつくほど真面目で堅物。 そういうのを期待しても、たぶん無理だろう。 私から迫るのも……どうなんだろう。 悩むところだ。 そんなことをぼんやり考えながら木を眺めていると、突然、背後から誰かに強烈なアタックを食らった。 ドンッ!「何、感傷に浸ってるのよ!」「……っ痛いなあ、もう」 私はアタックされた背中をさすろうとするが、手が届かなかった。 振り返って、その犯人を睨みつける。 ぶつかってきた張本人――そんな人は彼女以外、いない。 可愛らしく舌をペロッと出す、貴子。「おはよう、流華」 そう言うと、彼女は当たり前のように私の椅子に無理やり腰掛けてきた。 私は貴子に押され、お尻が半分しか椅子に乗っていない状態になる。 これ、いつものこと。 彼女は、桜井貴子。 私の親友だ。 家は超がつくお金持ちで、わがままなお嬢様。 でも決して嫌な子じゃない。 根は素直